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東京家庭裁判所 昭和63年(家)11220号 審判

主文

1  申述人山下明夫、同橋洋子、同中田法子の本件相続放棄の各申述をそれぞれ受理する。

2  申述人山下キヨ、同山下康夫の相続放棄の各申述をいずれも却下する。

理由

1  本件記録にもとづくと次のような事実の認定および法律判新をすることができる。

(1)  亡山下孝夫(本籍東京都練馬区○○×丁目××番地、最後の住所東京都練馬区○○×丁目××番×号、以下被相続人という。)は、昭和57年4月16日、死亡した。相続人は、配偶者のキヨと長男山下明夫、長女橋洋子、二女中田法子、二男山下康夫の5名である。

(2)  被相続人は、○○産業株式会社が○○金融公庫(以下公庫という。)より、昭和50年7月8日に200万円、昭和51年4月6日に300万円の貸渡しをうけるに際しそのいずれにも連帯保証人となつた。

(3)  上掲○○産業株式会社は、前記の貸金返済を昭和51年11月ころより遅滞するようになり、公庫は、連帯保証人である被相続人に対し、保証債務の履行を求め、昭和52年12月に公庫からの呼出に応じ、公庫の渋谷支店に来た被相続人は、自己の経済事情について、子供に扶養されていて、月当り1000円の支払いもできない、働く気力も失つたし、他にも保証債務があるなどと話し、昭和54年5月ころには、公庫に自分の方から電話して、心筋梗塞に罹り、入院していた、自宅で寝たきり状態にある、二男の申述人康夫は接骨の仕事をしているが採算悪く勤めにでることも考えている、などと語り、昭和55年1月の公庫からの呼出に対しては、申述人のキヨがかわつて電話をしてきて、被相続人の病状は改善せず、目下入院中である。二男の収入は月20万円から30万円くらいで、他の子供からも援助してもらつていることや、金融機関に対する被相続人他債務には免除してもらつたものもある、と告げたりし、被相続人死亡後の昭和59年5月には来訪した公庫職員に対し、申述人キヨは、連帯保証債務の支払いはとてもできない、同居の申述人康夫は自宅で接骨師をしているが客が少なくその妻が働いて生活を支えている、長男は没交渉状態である、と答えている。一方では、公庫は、公庫としての調査もし、被相続人や二男申述人康夫の居住する土地・建物が長男である申述人明夫の所有名義であるとの結果をえて、昭和62年12月2日、申述人明夫あてに、相続人として債務履行責任ある旨を付記して同月7日、公庫に来てくれるよう郵便をだしたが、このときは申述人明夫からはなんの連絡もなかつた。しかし、昭和63年7月15日、公庫が再び申述人明夫に対し、相続人として弁済義務がある旨記した書面を郵送すると、同月22日、申述人明夫より公庫に電話があり、翌23日公庫を訪れた申述人明夫は、公庫側より経過説明と弁済請求をうけると、被相続人からは公庫の借入れに保証したことがないと聞いていたので、保証債務はないとばかり思つていた、と語り、借用証書をみせられると、そんなにあつたのですか、という反応を示した。

被相続人の長女・二女である申述人橋洋子、同中田法子と公庫とは、同申述人らが、本件申述をするまで、少なくとも直接的な折衝は、電話・郵便によるものをも含め、ない。

2  以上の事実認定等よりすると、以下のとおりと、本件においては考えられる。

(1)  (イ) 申述人キヨは、被相続人の死亡前より、公庫との間で、被相続人の保証債務の返済問題について、被相続人にかわつて話し合つたりしており、その返済が不能である旨を語つているのであるから、被相続人が死亡時公庫に対する債務を負つたままであることを当然知悉していたというべきであり、被相続人死亡後3か月以上を経過して申立てた本件相続放棄の申述を受理することはとうていできない。

(ロ) 申述人康夫は、被相続人健在時より死亡時までの相当の期間被相続人や申述人キヨと同居して暮らし、その妻とともにやや不十分ながら、被相続人や申述人キヨの生活を支えてもきているのであるから、被相続人がどの程度の出費を求められる生活状況にあるかを、被相続人あるいは申述人キヨを通じて知つていることが推認でき、そうすると、被相続人が死亡したとき、その時点で債務を負つたままであつたことを知得していたものというべきであり、被相続人死亡とともに自己のため相続が開始したことを知つたことになり、仮りに被相続人の負債を知らなかつたとしても、その事実は上述の事態よりすると知るべきであつて、不知の点につき相当性はない、とするほかないから、結局申述人康夫も、本件申述をいわゆる熟慮期間を経過してのち申し立てたことになり、その受理もまたできないところとなる。

(2)  (イ) 申述人明夫については、公庫からの、相続人としての立場を説明もした書状が、まず昭和62年12月2日に発信されており、これによつて、申述人明夫も、被相続人が負債を負つて死亡したことを知つたものとなつて、熟慮期間経過後相続放棄の申述を申立てたことになる可能性も十分にあるものの、この書信が、そのころ、申述人明夫において、それを被見しうべきところに到達したと認定できるまでの資料方法が必ずしもなく、同申述人については、そのほか、申述人キヨらの住居等の所有名義者でもあることから、同女との関連で、被相続人の相続について知りうるところがあつたのではないか、とも考えられるものの、この点も、十分な認定資料がなく、結局申述人明夫については、公庫からの昭和63年7月15日発信の書状ではじめて自己のため相続が開始したことを知つたとされる可能性も相当にあるので、これより3か月以内になされた同申述人の、その真意にもとづいてなされたことも認められる相続放棄の申述を、本件審判の性質よりすれば受理しておくこととする。

(ロ) 申述人橋洋子、同中田法子については、いずれも、被相続人が積極・消極財産もないまま死亡したと考えて、本件申述申立以前の少なくとも3か月まではいた、とするのを相当とする余地が、被相続人の生前の病状、労働状況からすると、十分に存するので、これも真意にでたこと明らかな同申述人らの各申述を受理するものとする。

3  よつて、主文のとおり審判する。

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